リズちゃんへ
2020.05.23 09:12|思い出・記憶|
リズちゃん
あんたがお空にいってから早いもので1ヶ月。
そちらでは元気にしてる? お友達と走ったり遊んだり目一杯楽しんでいるかな。
2006年10月9日
あんたが生後2ヶ月弱で我が家にきたこの日の事は今でも忘れられへん。
空港でバスケットを受取ってから家に着くまでの道中、全く鳴かなかったので大丈夫なのかと心配やった。
でも家についてバスケットから出したとたん、部屋中爆走し、フードをガツガツ食べ、ケージに入れて休ませようとしたら、だせ〜とばかりギャアギャア鳴い喚いてたのには唖然としたわ。思わず母と顔を見合わせたよ。
「環境がいきなり変わるから脅えたり食欲がなかったりするかもしれません。あまり構わないでケージの中でそっと休ませてあげてください」とブリーダーさんから聞いてた話しと全然違うやん。

それはともかく、この日から待ちに待った愛らしい子犬との楽しい生活が始まると思うと嬉しくて仕方がなかった。
しかしその夢は無残にも打ち砕かれた。翌日から「猛獣との戦いの日々」が始まったんや。
起床後すぐに ケージの中でンコまみれになっていたあんたとケージとタオルケットを次々洗っていったけど、あんたの肉球や爪に挟まったンコがなかなか取れず、おまけにその間も全力でジタバタするから全部で2時間近くかかった。それが3ヶ月も続いたんよね。
で、甘噛みがひどく私も大ママ(母)も傷だらけ。履いてるスリッパを奪い取ってはズタボロにして、家具もカジってトイレシート、オモチャなど次々破壊。大ママの毛皮の襟巻きもズタズタにしたの、覚えてる? トイレのしつけもなかなか覚えてくれへんかったから一苦労やった。それが約半年も続いたんや。

その頃の鏡に映った自分はドンヨリして疲れ切ったおばちゃんやったわ。普通子犬を迎えたらルンルンで幸せオーラに包まれてるはずやん。
これでも迎える前にはしつけ全般にわたって勉強したり色々調べて万全に備えてたんやで。なのに、すべてのメソッドを片っ端から粉々に打ち砕いてくれたやん。
でも一歩外をでたら他の人には「可愛い〜」と撫でられて愛想振りまいてペロペロその手を舐めて、清純派アイドルのごとく振る舞ってチヤホヤされ、他のワンちゃんにもフレンドリーに接してたな。
なんちゅう外面の良い子やとある意味感心したわ。社交性には長けてた。でも家では相変わらず私と大ママにはガブガブ。
そんな時、近所のジャックラッセルの飼主さんから某ショップのしつけ教室を教えてもらい、通わせたら凄く気に入ってくれて毎回ルンルンで通ってたな。教室に行く用意をしだしたら小躍りして玄関前にじっとお座りして待機。そんな時だけお利口さん。お店の子や生徒さんと遊ぶのが楽しかったんやね。

玄関先で待機中

しつけ教室にて 2012年8月 6歳
教室のお陰で次第に手がかからなくなっていったのは良かったけど、毎回あんたがすっごく喜んでいくので、しつけ期間が過ぎてもやめられへんかったわ😅 昨年まで通わせたから、通算で もっっっのすごっい出費やってんで😭(ほとんど母に援助してもらってたけど)長年通ってたから他のお客さんからショップの看板犬と間違われてたみたいやけど(笑)

散歩も大好きで、そろそろ帰ろうといっても抵抗されて1時間半以上は連れ回されたな(私が)
ブログを通じてお友達がたくさん出来てお出かけも一杯した。伊勢とか和歌山、淡路島、鳥取、軽井沢とか旅行もした。あんたは大好きな友達と朝から晩まで一緒やったからご機嫌やったしママ達もすごく楽しかったわ😄
広島や東京のお友達にも新幹線で会いに行ったもんね。
ここ数年は神戸方面のお友達と仲良くなって、須磨や神戸北野や淡路島、六甲アイランドや芦屋散策とか、牡蠣買いツアーとか楽しかったやん。
あんたは友達と遊んで走れたらどこでも良かったんやろうけど、奈良とかの名所旧跡神社仏閣(他の観光客に迷惑にならないようにマナーを守って)行けたのは私も凄く良かった。これもリズがうちに来てくれたお陰や。



ドッグランではずっと走り回ってレディースの総長の異名ももらったし。高低差のあるところをよくジャンプもして男の子顔負けの筋肉女子のアスリートやった。でもそれがアダとなって頚椎ヘルニアの手術する羽目になったなあ😭 ま、回復したら元通りまた元気に走り回ってたけどな。

家の中でも1日2回はスイッチ入って爆走してソファの上をホリホリしてクッションやカバー次々落として。ママにも引っ張りっこ強要して。リビングが散乱して毎日台風が来たみたいになってたわ。
テレビに動物が写ったらワンワン吠えて挑んでた。お陰でワンコが出てるテレビ観るの苦労したんやで。「デカワンコ」とか、ずっと吠えるから音声が聞こえず毎回録画して見直さないとあかんかったやん。
6歳の時にあんたの遊び相手にと思って猫のナーラを迎えたけど、ナーラが天然KYで厚かましくて、あんたには少々うざかったかもしれへんな。でもナーラはリズの事が大好きやったんやで。許してあげてな。時々一緒に爆走して遊んでたから本当は良いコンビやったと思うで。

2019年3月
シニアになってから運動量は減ったけど身のこなしは相変わらず俊敏で年齢を感じさせなかった。
さすがに11歳あたりから次第に後ろ足の力が衰えてきたけどそれでもなかなかのもんやったで。

2019年9月 12歳でもブンブン
でもな、つい昔のキレッキレの時のあんたと比べてしまって「前はあんなこと楽々と出来たのに…」とか「以前はもっと軽く飛び越えてたのに」とか思ったり口にしてしまった。
プライドを傷ついたやろうな。そのままで十分やったのに、ゴメンな。

2019年5月 10年来のお付合いの はなこちゃん(向かって左)と
13歳あたりからさらに体力の衰えがみえたから、ボチボチお出かけも無理のない範囲でしようと思ってた。その矢先に脾臓の腫瘍が見つかって摘出して、それが落ち着いたと思ったら癲癇の発作起こして脳炎と診断されてしもうた。
この歳で短期間で2回も全身麻酔かけるのは心苦しかったけどよく頑張ってくれた。 もう後はゆっくりと穏やかに過ごさせようと思ってたわ。
それに数年前から同年代の子が次々お星さまになっていくのをみて、あんたもそう遠くない日にその時が来るかもと心積もりはしていた。
ママの願いは「最後までなるべく自分の足で歩いて欲しい」「できるだけ苦しんだり痛い思いをさせる事なく、穏やかな最後を迎えさせてあげたい」 この2点だけやった。
だからあんたには時々「自分がベストやと思うタイミング来たと思ったら旅立っていいで。痛いの我慢するとかせんでいいからな」とテレパシーで伝えてた。
そしたら…
本当にその通りに旅立っていってんな。倒れてからあっという間に行ってしまった。あまりにもあっけない別れやったから、もう少し心の準備を与えてくれてる時間くらいくれても良かったんちゃう?ってつい…
ただ、最後の発作の時の苦しんだ時間が最小限で抑えられた(全部で2分弱ほどやったと)のがせめてもの救いやった。だからやっぱりあれで良かったんやね。
2020年4月23日
私の人生で一番悲しい日になったわ。
2年前に大ママが他界した時よりも悲しかったわ。これ内緒やで。お空で大ママに会ったら告げ口せんといてや。
直後は体の一部がもぎ取られたようでガックリきたけど、1週間ほどしたら食欲は戻ったから心配せんでええよ。目が腫れてせっかくの美貌が台無しになってるけど3食ガッツリ食べてるから多分大丈夫や。
ほんでね、やっぱりあの日の朝、私を見つめていた顔が忘れられへんねん。何か言いたそうな切ない表情。なのにあまり構ってやれなかった。もしかしたらお別れを伝えようとしてたのにそれをわかってあげなかったと、あの顔を思い出すたびに自責の念が込み上げてきて蛇口をひねるように涙がドバドバ出てくるンよ。
普段からもそうやった。スマホばっかり見てないでもうちょっと相手してあげればよかったとか、オモチャくわえていた時もっと遊んであげれば良かったとか、あんな時ああしてあげたら良かったとか、自分を責めて責めてあんたの写真に向かって「ゴメンね」ばかり連発していた。
でもしばらくしてこのブログを最初から読んでいったらあんたの輝くような笑顔や楽しそうに走っている姿が随所に見られて… リズちゃん、幸せな人生を送ってくれたんやと…
こんなヘッポコ飼主やったけど、ママはあんたの笑顔を見るため、これでも頑張った。あんたもそれをわかってくれたはずやと思うと少しは気が楽になった。勘違いやったらゴメン。
な、リズちゃん、あんたは私の自慢の娘やった。かけがいのない娘やった。よくぞ、うちの子になってくれた!私がした事以上のモノをあんたからもらったわ。楽しい13年と半年やったな。
いなくなってポッカリ穴が空いたようで今はメチャ寂しい…
ナーラも直後はあんたを探してウロウロしてたんやで。お姉ちゃんどこ〜?って顔で私を見てたんよ😭
あれからずっと毎日1分1秒でもあんたの事を考えない時はないよ。
今でも毎日😭ウルウルするけど
これからはナーラと2人で力を合わせて乗り越えていくわ。しばらく時間はかかるやろうけどな。
うちらの事は気にせんでええから、そっちで楽しく過ごしや。でもたまには顔みせてや。今年の初盆は絶対くるんやで。化けて出てきてもいいからな😊
リズ、愛してるで。 そのうちそっち行くから楽しみにしてまっててな!

2011年5月 5歳

2009年3月 2歳

2016年1月 9歳 ナーラ2歳

2017年4月 10歳 右端 この年齢にして他の男の子達に負けない筋肉

2019年11月 13歳

2020年 4月 最後の桜



メルシー ボクゥ
あんたがお空にいってから早いもので1ヶ月。
そちらでは元気にしてる? お友達と走ったり遊んだり目一杯楽しんでいるかな。
2006年10月9日
あんたが生後2ヶ月弱で我が家にきたこの日の事は今でも忘れられへん。
空港でバスケットを受取ってから家に着くまでの道中、全く鳴かなかったので大丈夫なのかと心配やった。
でも家についてバスケットから出したとたん、部屋中爆走し、フードをガツガツ食べ、ケージに入れて休ませようとしたら、だせ〜とばかりギャアギャア鳴い喚いてたのには唖然としたわ。思わず母と顔を見合わせたよ。
「環境がいきなり変わるから脅えたり食欲がなかったりするかもしれません。あまり構わないでケージの中でそっと休ませてあげてください」とブリーダーさんから聞いてた話しと全然違うやん。

それはともかく、この日から待ちに待った愛らしい子犬との楽しい生活が始まると思うと嬉しくて仕方がなかった。
しかしその夢は無残にも打ち砕かれた。翌日から「猛獣との戦いの日々」が始まったんや。
起床後すぐに ケージの中でンコまみれになっていたあんたとケージとタオルケットを次々洗っていったけど、あんたの肉球や爪に挟まったンコがなかなか取れず、おまけにその間も全力でジタバタするから全部で2時間近くかかった。それが3ヶ月も続いたんよね。
で、甘噛みがひどく私も大ママ(母)も傷だらけ。履いてるスリッパを奪い取ってはズタボロにして、家具もカジってトイレシート、オモチャなど次々破壊。大ママの毛皮の襟巻きもズタズタにしたの、覚えてる? トイレのしつけもなかなか覚えてくれへんかったから一苦労やった。それが約半年も続いたんや。

その頃の鏡に映った自分はドンヨリして疲れ切ったおばちゃんやったわ。普通子犬を迎えたらルンルンで幸せオーラに包まれてるはずやん。
これでも迎える前にはしつけ全般にわたって勉強したり色々調べて万全に備えてたんやで。なのに、すべてのメソッドを片っ端から粉々に打ち砕いてくれたやん。
でも一歩外をでたら他の人には「可愛い〜」と撫でられて愛想振りまいてペロペロその手を舐めて、清純派アイドルのごとく振る舞ってチヤホヤされ、他のワンちゃんにもフレンドリーに接してたな。
なんちゅう外面の良い子やとある意味感心したわ。社交性には長けてた。でも家では相変わらず私と大ママにはガブガブ。
そんな時、近所のジャックラッセルの飼主さんから某ショップのしつけ教室を教えてもらい、通わせたら凄く気に入ってくれて毎回ルンルンで通ってたな。教室に行く用意をしだしたら小躍りして玄関前にじっとお座りして待機。そんな時だけお利口さん。お店の子や生徒さんと遊ぶのが楽しかったんやね。

玄関先で待機中

しつけ教室にて 2012年8月 6歳
教室のお陰で次第に手がかからなくなっていったのは良かったけど、毎回あんたがすっごく喜んでいくので、しつけ期間が過ぎてもやめられへんかったわ😅 昨年まで通わせたから、通算で もっっっのすごっい出費やってんで😭(ほとんど母に援助してもらってたけど)長年通ってたから他のお客さんからショップの看板犬と間違われてたみたいやけど(笑)

散歩も大好きで、そろそろ帰ろうといっても抵抗されて1時間半以上は連れ回されたな(私が)
ブログを通じてお友達がたくさん出来てお出かけも一杯した。伊勢とか和歌山、淡路島、鳥取、軽井沢とか旅行もした。あんたは大好きな友達と朝から晩まで一緒やったからご機嫌やったしママ達もすごく楽しかったわ😄
広島や東京のお友達にも新幹線で会いに行ったもんね。
ここ数年は神戸方面のお友達と仲良くなって、須磨や神戸北野や淡路島、六甲アイランドや芦屋散策とか、牡蠣買いツアーとか楽しかったやん。
あんたは友達と遊んで走れたらどこでも良かったんやろうけど、奈良とかの名所旧跡神社仏閣(他の観光客に迷惑にならないようにマナーを守って)行けたのは私も凄く良かった。これもリズがうちに来てくれたお陰や。



ドッグランではずっと走り回ってレディースの総長の異名ももらったし。高低差のあるところをよくジャンプもして男の子顔負けの筋肉女子のアスリートやった。でもそれがアダとなって頚椎ヘルニアの手術する羽目になったなあ😭 ま、回復したら元通りまた元気に走り回ってたけどな。

家の中でも1日2回はスイッチ入って爆走してソファの上をホリホリしてクッションやカバー次々落として。ママにも引っ張りっこ強要して。リビングが散乱して毎日台風が来たみたいになってたわ。
テレビに動物が写ったらワンワン吠えて挑んでた。お陰でワンコが出てるテレビ観るの苦労したんやで。「デカワンコ」とか、ずっと吠えるから音声が聞こえず毎回録画して見直さないとあかんかったやん。
6歳の時にあんたの遊び相手にと思って猫のナーラを迎えたけど、ナーラが天然KYで厚かましくて、あんたには少々うざかったかもしれへんな。でもナーラはリズの事が大好きやったんやで。許してあげてな。時々一緒に爆走して遊んでたから本当は良いコンビやったと思うで。

2019年3月
シニアになってから運動量は減ったけど身のこなしは相変わらず俊敏で年齢を感じさせなかった。
さすがに11歳あたりから次第に後ろ足の力が衰えてきたけどそれでもなかなかのもんやったで。

2019年9月 12歳でもブンブン
でもな、つい昔のキレッキレの時のあんたと比べてしまって「前はあんなこと楽々と出来たのに…」とか「以前はもっと軽く飛び越えてたのに」とか思ったり口にしてしまった。
プライドを傷ついたやろうな。そのままで十分やったのに、ゴメンな。

2019年5月 10年来のお付合いの はなこちゃん(向かって左)と
13歳あたりからさらに体力の衰えがみえたから、ボチボチお出かけも無理のない範囲でしようと思ってた。その矢先に脾臓の腫瘍が見つかって摘出して、それが落ち着いたと思ったら癲癇の発作起こして脳炎と診断されてしもうた。
この歳で短期間で2回も全身麻酔かけるのは心苦しかったけどよく頑張ってくれた。 もう後はゆっくりと穏やかに過ごさせようと思ってたわ。
それに数年前から同年代の子が次々お星さまになっていくのをみて、あんたもそう遠くない日にその時が来るかもと心積もりはしていた。
ママの願いは「最後までなるべく自分の足で歩いて欲しい」「できるだけ苦しんだり痛い思いをさせる事なく、穏やかな最後を迎えさせてあげたい」 この2点だけやった。
だからあんたには時々「自分がベストやと思うタイミング来たと思ったら旅立っていいで。痛いの我慢するとかせんでいいからな」とテレパシーで伝えてた。
そしたら…
本当にその通りに旅立っていってんな。倒れてからあっという間に行ってしまった。あまりにもあっけない別れやったから、もう少し心の準備を与えてくれてる時間くらいくれても良かったんちゃう?ってつい…
ただ、最後の発作の時の苦しんだ時間が最小限で抑えられた(全部で2分弱ほどやったと)のがせめてもの救いやった。だからやっぱりあれで良かったんやね。
2020年4月23日
私の人生で一番悲しい日になったわ。
2年前に大ママが他界した時よりも悲しかったわ。これ内緒やで。お空で大ママに会ったら告げ口せんといてや。
直後は体の一部がもぎ取られたようでガックリきたけど、1週間ほどしたら食欲は戻ったから心配せんでええよ。目が腫れてせっかくの美貌が台無しになってるけど3食ガッツリ食べてるから多分大丈夫や。
ほんでね、やっぱりあの日の朝、私を見つめていた顔が忘れられへんねん。何か言いたそうな切ない表情。なのにあまり構ってやれなかった。もしかしたらお別れを伝えようとしてたのにそれをわかってあげなかったと、あの顔を思い出すたびに自責の念が込み上げてきて蛇口をひねるように涙がドバドバ出てくるンよ。
普段からもそうやった。スマホばっかり見てないでもうちょっと相手してあげればよかったとか、オモチャくわえていた時もっと遊んであげれば良かったとか、あんな時ああしてあげたら良かったとか、自分を責めて責めてあんたの写真に向かって「ゴメンね」ばかり連発していた。
でもしばらくしてこのブログを最初から読んでいったらあんたの輝くような笑顔や楽しそうに走っている姿が随所に見られて… リズちゃん、幸せな人生を送ってくれたんやと…
こんなヘッポコ飼主やったけど、ママはあんたの笑顔を見るため、これでも頑張った。あんたもそれをわかってくれたはずやと思うと少しは気が楽になった。勘違いやったらゴメン。
な、リズちゃん、あんたは私の自慢の娘やった。かけがいのない娘やった。よくぞ、うちの子になってくれた!私がした事以上のモノをあんたからもらったわ。楽しい13年と半年やったな。
いなくなってポッカリ穴が空いたようで今はメチャ寂しい…
ナーラも直後はあんたを探してウロウロしてたんやで。お姉ちゃんどこ〜?って顔で私を見てたんよ😭
あれからずっと毎日1分1秒でもあんたの事を考えない時はないよ。
今でも毎日😭ウルウルするけど
これからはナーラと2人で力を合わせて乗り越えていくわ。しばらく時間はかかるやろうけどな。
うちらの事は気にせんでええから、そっちで楽しく過ごしや。でもたまには顔みせてや。今年の初盆は絶対くるんやで。化けて出てきてもいいからな😊
リズ、愛してるで。 そのうちそっち行くから楽しみにしてまっててな!

2011年5月 5歳

2009年3月 2歳

2016年1月 9歳 ナーラ2歳

2017年4月 10歳 右端 この年齢にして他の男の子達に負けない筋肉

2019年11月 13歳

2020年 4月 最後の桜



メルシー ボクゥ